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2010年04月07日

球界のキムタク 意識戻らぬまま無念の死去

<巨人>木村拓也コーチが死去 37歳、くも膜下出血で
4月7日8時4分配信 毎日新聞


 4月3日のプロ野球・広島−巨人戦の試合前練習中に倒れ、広島市内の病院に入院していた巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが7日、くも膜下出血のため死去した。37歳だった。球団が同日発表した。葬儀・告別式の日程は未定。

 木村コーチは広島市南区のマツダスタジアムで行われた試合前のシートノック中に突然倒れ、市内の病院へ搬送。くも膜下出血と診断され、そのまま入院していた。

 木村さんは宮崎県出身。宮崎南高から90年にドラフト外で日本ハムへ入団。捕手から野手へ転向し、94年オフには広島に移籍。内外野の複数のポジションをこなすユーティリティープレーヤーで、04年アテネ五輪日本代表にも選ばれた。06年シーズン中に巨人へ移籍。昨シーズン限りで現役引退し、コーチに就任していた。

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<その時、私が思ったこと・・・>
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2009年11月17日

元宝塚男役トップスター大浦みずきさん、肺がんで死去

大浦さんの死悼む、真矢「本当に尊敬できる人」 - (芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

元宝塚歌劇団花組のトップスターで、14日に肺がんのため53歳で死去した女優大浦みずき(本名阪田なつめ)さんの悲報を受けて16日、真矢みき(45)ら宝塚の元トップたちが所属の「組」を超えて早過ぎる死を悼んだ。真矢は「みずきさんが私を変えてくれた」としみじみ。12月2日午後2時から東京都新宿区南元町19の千日谷会堂でお別れの会が開かれる。喪主は姉内藤啓子(ないとう・けいこ)さん。

 花組の下級生(後輩)として「ベルサイユのばら−フェルゼン編−」(90年)など同じステージに立つことも少なくなかった真矢だけに、偉大な先輩の死には悲しみが込み上げた。

 「宝塚のフレッド・アステアと呼ばれたダンスの名手。大浦さんは宝塚のグレードを上げてくださった方です。トップお披露目の舞台となった“キス・ミー・ケイト”(88年3月)を見て、なんてガウンの似合う人だろうと見とれてしまいました。黒燕尾(えんび)姿も最高。とにかくプロ精神のすごい方でした」

 91年に大浦さんが退団する際、当時3番手だった真矢は「一緒に辞めようかと思います」と相談したという。「その時、鼻で笑われたんです。そして“あんたがトップにならなくてどうするの”と言われました。その一言が私を大きく変えるきっかけになりました」

 昨年、大浦さんが同じ事務所に移ってきた。もちろん闘病の様子も耳に入っていた。大浦さんは肺がんで昨年11月20日に都内の病院に入院。その後、転移もみられ一進一退を続けたが、闘病中の姿は見せたくないだろうとあえて見舞いは遠慮。その代わり、上級生・下級生と一緒に千羽鶴を折ったり、8月29日の大浦さんの誕生日には「会いたい」とつづった手紙を書いて送ったりして、回復を祈ってきた。そのかいもなく逝ってしまった大浦さん。真矢は「少女のような純真さも持ち、尊敬のできる人でした」と涙で手を合わせた。

[ 2009年11月17日 ]
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ラベル:宝塚 男役
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2009年10月13日

軍事評論家・江畑謙介さん死去

訃報:軍事評論家・江畑謙介さん死去 - 毎日jp

江畑謙介さん60歳(えばた・けんすけ=軍事評論家)10日、呼吸不全のため死去。葬儀は近親者のみで済ませた。お別れの会を開く予定。喪主は妻裕美子(ゆみこ)さん。

20091013k0000m040013000p_size5.jpg 上智大大学院理工学研究科博士課程を修了後、83年から18年間にわたり英国の防衛専門誌の日本特派員を務めた。湾岸戦争や米国を主体とするアフガニスタン攻撃、イラク戦争の戦況をテレビで解説した。「日本の安全保障」など軍事や防衛に関する著書多数。



<その時、私が思ったこと・記憶していること・・>
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2009年10月09日

中川昭一氏 永田町に最後の別れを告げ通夜へ

中川昭一氏死去:永田町にひつぎ乗せた車 最後の別れ−毎日jp

20091009k0000m040132000p_size5.jpg 中川昭一元財務・金融担当相(4日死去)の通夜が8日夜、東京都港区の善福寺で行われ、鳩山由紀夫首相や谷垣禎一自民党総裁らが弔問に訪れた。これに先立ち、中川氏のひつぎを乗せた車が自民党本部や国会、財務省などを回り、最後の別れを告げた。関係者は通過する車の前で合掌し、故人の冥福を祈った。葬儀は9日午前11時から同寺で行われる。
【坂口裕彦】


20091005hog00m040005000p_size5.jpg花に囲まれた中川昭一氏の遺影に手を合わせる支持者=帯広市の連合後援会事務所前で09年10月5日午後2時19分、山田泰雄撮影

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posted by ちゃえ at 05:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

中川氏の死因調査 はっきりさせてあげる事がご供養に

中川氏急死:病死の可能性も 病理検査で詳しい死因調査へ−毎日jp
2009年10月4日 20時45分 更新:10月5日 0時43分


4日午前8時20分ごろ、中川昭一元財務・金融担当相(56)が、東京都世田谷区下馬5の自宅で死亡しているのを妻郁子さん(50)が見つけ119番した。
20091005k0000m040092000p_size5.jpg
警視庁世田谷署によると、中川氏に目立った外傷はなく、遺体や室内の状況から事件や自殺の可能性は低いとみられる。
行政解剖では死因を特定できなかったが、病死の可能性があり、都監察医務院が病理検査で詳しい死因を調べている。葬儀の日程は未定。

 世田谷署によると、中川氏は自宅2階の寝室のベッドでポロシャツと短パン姿でうつぶせに倒れ、ベッドに吐いた跡があった。
寝室の机の上に睡眠薬とみられる錠剤があり、家族は「眠れないということで、都内の総合病院に通院し睡眠薬を処方してもらっていた」と話しているという。

 3日正午ごろに長女(25)がベッドで寝ている中川氏を見ていた。
同午後9時ごろには、外出先から戻った郁子さんがベッドで横になっているのを確認したが異常はなかった。
中川氏は普段1人で寝ており、朝になっても起きて来なかったため郁子さんが様子を見に行くと、既に体が冷たくなっていたという。
死後約10時間経過していたことから、3日午後11時前後に死亡した可能性がある。

 中川氏は郁子さんと長男(17)と長女の4人暮らし。

 中川氏は東京都生まれ。衆院議員だった父一郎元農相の自殺後、日本興業銀行を退職し、83年の衆院選で父の地盤だった旧北海道5区から出馬し初当選。農相や経済産業相、自民党政調会長などを歴任。財務・金融担当相には08年9月に就任したが、今年2月、ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後のろれつの回らない「もうろう会見」で批判を受け、辞任に追い込まれた。8月の衆院選で9選を目指し北海道11区から出馬したが落選し、比例でも復活当選できなかった。
【古関俊樹、川崎桂吾】

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ラベル:中川昭一
posted by ちゃえ at 09:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

突然の訃報 中川元財務大臣が死去

中川昭一・元財務相、東京・世田谷の自宅で死亡 - asahi.com

4日午前8時18分ごろ、中川昭一・元財務兼金融相(56)が東京都世田谷区下馬5丁目の自宅で倒れているのを妻(50)が発見し、119番通報した。
警視庁によると、中川氏は2階の寝室のベッドにうつぶせで死亡していた。
目立った外傷はなく、検視では死因は不詳だった。
家族の承諾が得られたことから同日中に都監察医務院で行政解剖する。
世田谷署は遺体や室内の状況から事件や自殺の可能性は薄いとみている。

 同署によると、中川氏はポロシャツに短パンをはき、乱れはなかった。
掛け布団はかかっていなかった。
通報で駆けつけた救急隊員が死亡を確認。
検視した午前10時41分の時点で死後半日程度とみられる。
外部から侵入した形跡ないという。

 妻が3日午後9時すぎに帰宅した際、中川氏は寝室のベッドで眠っており、異変はなかった。
中川氏が起きてこないため、妻が午前8時すぎに寝室に入って中川氏が息をしていないのに気付いた。
それまで寝室には出入りしていなかったという。

 遺書は現時点で確認されていない。
家族が同署に説明したところによると、中川氏は不眠を訴えて睡眠薬をのむことがあり、最近病院に通っていたという。

 中川氏は1953年生まれ、東大法学部卒。
日本興業銀行勤務を経て83年に衆院選で初当選し、8期務めた。
麻生内閣で財務相兼金融相に就任したが、今年2月の主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後、もうろうとした状態で記者会見。
飲酒を疑われて批判を浴び、その後同相を辞任。
8月の衆院選で落選した。



<その時、私が思ったこと・掲載されている記事に物申す・・・>
ラベル:中川昭一 訃報
posted by ちゃえ at 17:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

松本サリン事件の被害者、河野澄子さんが死去

<河野澄子さん死去>「14年間家族のために生きてくれた」
          8月5日12時44分配信 毎日新聞


河野さん.jpg松本サリン事件被害者の河野義行さん(58)の妻澄子さん(60)が5日、亡くなった。
事件発生から14年。
澄子さんは事件の後遺症で意識が戻らないままだったが、容疑者扱いを受ける苦難を乗り越えてきた河野さんは「家族のために生きてくれた」との談話を公表した。
オウム真理教事件の被害者らからも冥福を祈る声が相次いだ。

「限りあるエネルギーをより有意義なことに使いたい」−−。河野さんは澄子さんへの思いを常に持ち続け、看病を続けていた。

 河野さんが今年6月発売の5冊目の著書
  「命あるがぎり−松本サリン事件を超えて」(第三文明社)
を上梓(じょうし)したのも意識が戻らないまま還暦を迎えた妻への感謝の気持ちからだった。
同書には「家族を支えているのはあなた(妻)だよ。子供や世の中の人もあなたの存在に励まさされているんだよ」と記した。

 6月26日、河野さんは澄子さんを病院に見舞った。
その時点で、澄子さんは胃腸の動きが弱まり、「余命3カ月」と医師から宣告されたという。
今月4日には医師から「あと1週間ぐらいの命かもしれない」と告げられていた。
5日午前2時45分ごろに病院から「状態が危ない」と一報があり急行したが、医師の「間に合いませんでした」との言葉で、妻の死を知ったという。
 松本サリン事件で次男豊さん(当時23歳)を亡くした小林房枝さん(66)は
「大変残念です。奥さんと直接お会いする機会はありませんでしたが、事件以来、14年間も意識のないまま闘ってこられた象徴的存在だったので、本当にさみしい気持ちがします。奥さんが頑張ることが、私たちの心の励みになったと思います。オウム犯罪の恐ろしさを今一度、感じます」
と悔しさをにじませながら話した。

 オウム真理教元代表で新団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(45)は5日、
「深い衝撃と悲しみを感じている。私たちの罪の重さを改めて強く自覚し、再び同じ過ちが繰り返されないための総括や賠償などを通じて、いっそうの償いに努める」
とのコメントを出した。


<その時、私が思ったことは・・・・・ >
posted by ちゃえ at 06:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

伊藤市長の遺志を継ぎ娘婿が立候補

伊藤氏の娘婿、長崎市長選に立候補を表明

     4月18日20時30分配信 読売新聞

長崎市長選(22日投開票)に立候補していた伊藤市長の死亡を受け、後継候補として、伊藤市長の長女の夫で西日本新聞記者の横尾誠氏(40)が18日、立候補を表明した。

 横尾氏は大阪府出身。同志社大を卒業後、1991年に西日本新聞社に入社。長崎総局、社会部などを経て、現在は東京支社報道部に所属している。長崎市役所で18日、記者会見し、「長崎が好きだと言って頑張っていた人(伊藤市長)がこんな仕打ちに遭った。思いを引き継ぎたい」と話した。

 市選管によると、伊藤市長の死亡に伴って新たな立候補(補充立候補)が可能となり、19日午後5時まで補充立候補を受け付ける。横尾氏は19日午前中に届け出る予定。市長選にはほかに、無所属新人の大学非常勤講師・前川智子氏(59)、共産党新人の前市議・山本誠一氏(71)、無所属新人の主婦・前川悦子氏(57)の3人が立候補している。


弔い合戦に出馬決意の娘婿を応援。。。。。。。
posted by ちゃえ at 21:19| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

宮本邦彦巡査部長から警部に

?x@.jpg宮本邦彦警部(53)は、12日付で巡査部長から特進した。
自殺願望の女性を助けようとしての結末だった。
あまりにも悲しすぎる。
地域に根ざした宮本巡査部長の日々の活動は、テレビの報道からも垣間見られる。
本当に素晴らしい『おまわりさん』だった。
今、警察内部の不祥事なども報道されている中、彼の行動を我が身に置き換え考える事ができた警察官がどれほどいただろうか。
殆どの警察官が、そうであってほしい。
遺族の方々のお気持ちを察するに、かける言葉も見当たらない。
健気にそして気丈に振舞われておられるご遺族を目にする度、涙が止まらなくなってしまう。
今の殺伐としてしまったこの社会に、人間の暖かさを問い掛けた問題だった。
死して尚、社会に問題を提示してくれたように感じる。
この勇気ある行動に対し、心からの回向を送る。
ご家族の方々の、今後が幸多かれと祈る。


毎日新聞から (2月13日17時17分更新)
posted by ちゃえ at 11:12| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

はらたいら氏 死去

漫画家はらたいらさん死去 「クイズダービー」でも人気


??§??¢§.jpgテキパキとした回答で、視聴者を釘付けにしていた。
大橋巨泉とのやりとりも楽しかったものだ。
63歳とは、まだまだ若い。
残念でならない。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。
    <<合掌>>
posted by ちゃえ at 18:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

北天佑 腎臓がんのため死去

●北天佑・二十山親方・・・元大関、幕内優勝2回
  本名・千葉勝彦氏が23日正午、腎臓がんのため死去
  45歳だった
  自宅は墨田区立川2の1の18
  葬儀は、名古屋場所(7月9日初日)後に出羽海一門葬を行う
 師匠の三保ケ関親方(元大関増位山)
 「年が一回りも離れているので、現役時代は付け人をしてくれた。順番が違う」
 
 北海道室蘭市出身
 師匠はシコ名に「北の天に生まれ、人の右に出る力士たれ」という期待を込めた
 三保ケ関部屋から76年春場所初土俵
 19歳の80年夏場所で新十両に上がり、半年後に新入幕を果たした
 身長183cm/体重139Kgの均整の取れた体と握力100Kgの怪力
左上手からの投げとつり、のど輪が武器
 新関脇から3場所目の83年夏場所で14勝を挙げて初優勝
 これで大関に昇進した
 10代で関取になり、「必ず横綱になれる」と期待された逸材だった
 大関を44場所も務めながら、内臓疾患、腰痛などに苦しみ、期待された最高位にはあと一歩で届かなかった
 90年秋場所途中で引退
 大関在位は貴ノ花(故・二子山親方)に次ぐ史上2位タイの44場所
 通算645勝413敗47休

 引退後は年寄・二十山を襲名(引退以降は糖尿病との戦いだった)
 94年夏場所後に独立し、ロシア出身の白露山を幕内力士に育てた
 今年3月の春場所中に体調を崩して入院
 (春場所中に脳梗塞(こうそく)で倒れて入院)
 審判委員を退き、療養に専念
  看病する家族以外は面会謝絶の重症
  最後は100キロを切るほど衰弱していたという

≪白露山ら11人北の湖部屋に転属≫
二十山部屋には師匠の後継者となる親方がいないため、白露山ら、部屋の力士11人は名古屋場所から北の湖部屋に移ることになる。
理事長は「故人もそういう気持ちがあったと聞いたので、このまま転属する形になる」と話した。
週明けにも理事会に諮られ、正式に決定する。宿舎の準備などで名古屋入りしていた部屋の力士は、24日に帰京する。
        北天祐.jpg



大好きだった北天祐。。。。。。。
posted by ちゃえ at 09:06| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(1) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

アイヌ民族初の国会議員・萱野茂氏が死去

●萱野茂氏(かやの・しげる=アイヌ民族初の国会議員)
 06年5月6日午後1時38分、急性肺炎のため死去、79歳
 自宅は北海道平取町二風谷79の1
 葬儀・告別式は12日午前10時から平取町本町の平取町中央公民館で行われる
 喪主は妻れい子(れいこ)さん
 同町の町葬として行う予定

 75年 アイヌの民話をまとめた著作「ウエペケレ集大成」で菊池寛賞
 89年 吉川英治文化賞を受賞
 92年 参院選に社会党から比例名簿11位で出馬し次点
 94年 繰り上げ当選
     「アイヌ文化法」の成立に貢献した
       アイヌ語で国会質問に立つ
       北海道旧土人保護法の撤廃
       アイヌ新法制定を訴え、先住民族の権利確立に努めた
 98年 「萱野茂のアイヌ神話集成」(98年)で毎日出版文化賞を受賞

 平取町二風谷に生まれ、アイヌ語を母語として育つ
 アイヌ民具や民話の収集に尽力
 言語学者の金田一京助のユーカラ研究を助けた

 93年 旧建設省の二風谷ダム建設計画を巡り、国を相手に裁決取り消しを求める行政訴訟を提起
  ダム用地の強制収用を裁決した北海道収用委員会の決定を「アイヌ民族の聖地を奪うもので憲法違反」
札幌地裁で、先住民族のアイヌ民族への配慮を怠ったダム建設は違法と認定する判決(97年3月)を勝ち取った(国は控訴断念)

 主な著書
  「キツネのチャランケ」
  「おれの二風谷」
  「アイヌの碑」
  「二風谷に生きて」など
 
 01年秋に勲三等瑞宝章
posted by ちゃえ at 14:46| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月01日

松本竜助さんが死去 

●脳出血のため大阪市内の病院で1日午前5時2分 死去 49歳
  漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」で人気を集めた
  徳島県出身
  葬儀・告別式は3日午後2時
   大阪市北区長柄西1ノ6ノ14、大阪北玉泉院
   喪主は妻・妃加子(ひかこ)さん

 3月22日夜、大阪市内で倒れ、緊急入院していた

「ツッパリ漫才」
  リーゼントに作業服姿で乱暴な言葉も使う
  若者の絶大な支持を受けた

<関連記載記事>
 紳助・竜介のプロフィール




 まだ若いのに残念だ。。。。。
posted by ちゃえ at 15:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

宮川泰さん 死去

宮川泰(みやがわ・ひろし)さんが21日、虚血性心不全のため亡くなった
  
 歌謡曲やテレビ・映画主題曲を手掛けた作曲家
  「恋のバカンス」「宇宙戦艦ヤマト」「シビレ節」「銀色の道」「愛のフィナーレ」など
  75歳だった
 葬儀は25日午前11時半
  東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所
  喪主は作曲家の長男彬良(あきら)さん
 ご自宅は世田谷区上馬5の30の2の105

宮川さんのプロフィール
 北海道留萌市生まれ
 大学在学中から演奏活動を開始
 上京後はジャズピアニストとして活躍
 その後、作曲や編曲を手掛ける
 レコード大賞作曲賞を受賞するなど、数々のヒット曲を生み出した
 ザ・ピーナッツの育ての親
 1993年からは、NHKの紅白歌合戦でエンディングの「蛍の光」の指揮

 長男の彬良さんは「マツケンサンバ2」の作曲家
 
 沢山の名曲をありがとうございました
 ご冥福をお祈りいたします
posted by ちゃえ at 09:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

補助犬の法制定に貢献の「シンシア」死す

●補助犬(介助犬、盲導犬、聴導犬)のシンボル的存在だった「シンシア」死す
  ラブラドルレトリバー、雌、12歳

・シンシアが果たした役割
 身体障害者補助犬法の制定に大きな役割を果たした
 車椅子生活を送る兵庫県宝塚市のコンピュータープログラマー、木村佳友さん(45)のパートナー役
 昨年12月に介助犬を引退
 人間なら60〜70歳となっていた
 ペットとして木村家で後継の介助犬エルモとともに暮らしていた
 今年1月、ひ臓に腫瘍(しゅよう)が見つかり、緊急手術

 当初は木村家のペットだった
 育成団体で訓練を受け、96年7月に介助犬に
 98年、毎日新聞が介助犬の法的認知を訴えるキャンペーンを開始
 その存在は広く知られるようになった
 99年5月、宝塚市が「シンシアのまち」を宣言し
 ダイエーなど積極的に受け入れる企業も現れた

 02年5月の議員立法による補助犬法成立(同年10月施行)が可決
 03年10月、シンシアは同法に基づく全国で3頭目の正式な介助犬となる
 
 毎日放送が制作したドラマ「シンシア〜介助犬誕生ものがたり」
  アジアテレビ賞最優秀賞を受賞
    シンシア.jpg

 介助犬シンシア:最終回 第10部「明日につなぐ」(兵庫) 毎日新聞から




介護犬に対する理解度。。。。。。。
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2006年03月12日

ミロシェビッチ元大統領、拘置施設で死去

●旧ユーゴスラビア連邦大統領がハーグの拘置施設で死去
 オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷の発表
 11日早朝、看守が独房を開いた際に死亡していた
 死因に不審な点はなかったという

・ミロシェビッチ元大統領
  90年の選挙で旧ユーゴ連邦セルビア共和国の大統領に就任
  97年にはユーゴ連邦大統領に就任
  「人道に対する罪」「大量虐殺」99年5月に同法廷に起訴
   90年代のクロアチア紛争
   ボスニア紛争
   99年のNATO(北大西洋条約機構)空爆へと発展したコソボ紛争
  00年9月の大統領選で敗北
  01年4月にはセルビア当局によって逮捕
  6月にはハーグの法廷へ移送
  
  バルカン半島での「民族浄化」を指揮した責任
   二次世界大戦後、欧州では最悪の悲劇
   国家元首として初めて戦争犯罪を問
   審理は継続中
  心臓と高血圧の疾患を抱え、最近は健康状態を理由にたびたび中断

 最も憎まれ、最も愛された大統領
posted by ちゃえ at 11:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

キング博士夫人

コレッタ・スコット・キング夫人がご逝去

 アメリカ公民権運動の指導者・故マーチン・ルーサー・キング博士の奥様
 長く博士を支え続けていらした奥様

 1月31日、アトランタで永眠された
 78歳だった

 夫人は、キング博士が亡くなられた後も、博士の意思・活動を継承
 平和と非暴力の社会建設の為にご尽力なさった

 時代が変わっても、平和のための活動は続く
 コレッタ・スコット・キング夫人の心を後世に伝えていきたい
  
ご冥福を心から祈る  <<合掌>>



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2005年12月16日

仰木マジック 仰木彬元監督逝く

テレビのニュースが報道したこの事実に、一瞬息をのんだ。

前オリックス監督の仰木彬氏が死去

15日、福岡県内の病院で死去された。
70歳だった。

臓プロフィール
 1953年夏、福岡・東筑高から全国高校野球大会に出場
 54年に西鉄に入団
 三原脩監督の指揮で黄金時代を築いた西鉄の二塁手として活躍
 67年に引退
 70年から18年間、近鉄コーチを務める
 88年から92年まで監督
 89年にリーグ優勝
 94年にオリックス監督に就任
 阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、パ・リーグ制覇を成し遂げる
 96年にはリーグ連覇を果たしたうえで“長嶋・袖人”を破って日本一
 この年、正力松太郎賞を受賞

 今季、近鉄とオリックスが統合された新生「オリックス・バファローズ」の監督に就任
 巧みな選手起用でプレーオフ進出争いを演じる(最終的には4位)
 今季終了後、監督を勇退し、オリックスのシニアアドバイザーに就任

臓「仰木マジック」
 データを生かした緻密(ちみつ)で、なおかつ大胆なさい配
 近鉄監督時代では野茂英雄投手をエースとして起用
 オリックスでは、無名だった鈴木一朗外野手(現マリナーズ)を「イチロー」の登録
 7年連続首位打者を続得する球界のスーパースターに育て上げた

臓監督としての通算成績
 近鉄、オリックス時代の14年間で988勝815敗53引き分け。勝率5割4分8厘。

臓野球殿堂入り
 2004年

  心からご冥福をお祈りいたします <合掌>



仰木元監督の訃報を聞いて。。。。。
posted by ちゃえ at 01:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

ローザ・パークス女史

10月24日、ローザ・パークス女史が92歳で他界なされた。
 (1913年2月4日 - 2005年10月24日;デトロイトの自宅にて老衰で死去)

『公民権運動の母』として、女史の生涯は戦いの連続だった。

 女史は縫製に従事した裁縫労働者。
 1955年にアラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒みむ
 人種分離法違反のかどで逮捕される
 これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件(Montgomery Bus Boycott)が勃発
 アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となっる
 米国史上の文化的象徴
 米国連邦議会から「公民権運動の母」 ("Mother of the Modern Day Civil Rights Movement") と呼ばれる
 人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は米国内のみならず国際的にも高く評価された

心からご冥福をお祈りいたします <合掌>

11月に‘ローザ パークス女史’の記事をアップしてあるので、そちらも参考にしてもらいたい。
  11月21日のブログ『アメリカの1950年代 人種差別との戦い』
  



ご冥福をお祈りいたします。。。。
posted by ちゃえ at 22:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

被爆者医療の第一人者 秋月辰一郎さん死去 

秋月辰一郎さんが、10月20日に亡くなられた。
聖フランシスコ病院(旧浦上第一病院)四〇一号室で最期を迎えた。

自らも被爆者であった。
原爆投下された長崎・松山町から、1、4Kmで被爆。
当時の浦上第一病院の医長を勤めていた。
医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。

13年前に、喘息の発作で倒れてから、一度も目を覚まさず。
植物状態となってしまい、担当医師が「脳は元にはもどらない」と、冷淡に云っていたらしいが、
看病を続けていた奥様には、「聞こえているようだ」と、確信できる事が度々起こったそうだ。
例えば。
お孫さんが来ると、目を動かし脈拍が上がったり。
頭をなでながら話し掛けると、呼吸が安定してりして。

生命の不思議さを感じさせてくれた。

西日本新聞から〜
 http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20051023/morning_news003.html

NAGASAKI・1945 アンゼラスの鐘より〜
 http://nagasaki1945.info/index.html



悲報をうけて。。。。
posted by ちゃえ at 12:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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